思っていない時に質問されて、答えたものの、それから考えている事があって、その質問の内容が「なぜ萩さんは日常を大切に写真を撮られているのですか?」というもの。
考えてみると、
なんでだろう?
この時答えたのって
「自分自身が良いって思う写真が日常に撮った写真で、
結婚式の時に写真選んだのが
全部日常に撮った写真だった」
っていう内容だったわけ。
でもこの答えにあるのって
日常の写真が良いっていうことでなくて、
日常の写真に心動く撮りてっていうことだと思う。
でもなぜ?っていう点。
まず考えられるのは
「時間が経つからこそ、写真の価値が上がるもの」なのかな。
写真には時間がつきもので、時間がある意味でタイムリミットのような感じで、タイムリミットがくるともう撮れない。
要するに今を残すのは今しかなく、今を逃すと逃してしまった過去になってしまう。だからこそ、過ぎてしまうものはそれだけで「特別」なのに、その特別にプラスで特別要素をもっといれる必要があるのかな?っていう思いがあるからこそ、日常を撮りたいと思っているのかな。
また後から入れる特別要素は誰でもいれれるものが多い気がしていて、
特別をいれると入れない人からは特別なものになるけど、
入れたことある人にとっては同じものになっていくのかな。
それに比べると日常の写真は感性であったり、感覚が入るからこそ、生々しい写真になる。
その写真こそ、
見る人にはやはり届くものがあると思う。
誰も真似できないくらい作り上げることができるのであれば、それは魅力的になるけど、私ひとりではそこまで作り上げられない。それであれば気づく力をつけよう。それが家族写真であっても、企業写真でも一緒で、誰がみても、良いって思ってもらうのもそうだけど、知っている人がみてもその人らしい、その会社っぽい、って思ってもらえるものの追求をしたいと思っている。
って長くなるけど、
普段から日常を考えると
同時に「私にしか撮れない写真の追求」というのがついてくると思う。
もっともっと目の前の物や人の素の部分に入り込めるように
人間力を持てるようになりたいと思う毎日。
っていう1人で考えながら書いてみたブログでした。
ちゃんちゃん
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